January 10, 2009

ワークシェアリング

ここにきていきなり「ワークシェアリング」という言葉がマスコミ紙面を躍らせている。

しかし、そこでいわれているワークシェアリングなるものは、ただの賃金カットの言い訳にすぎず、本来の意味でのワークシェアリングではない。

労働者も、賃金カットした分の保証がなければ、生活していけないだろう。その分の保証を国の基金で面倒みるとか、定額給付金なる意味不明のバラマキをするくらいなら、やりようはあるだろう。

リストラで人員を削減するだけして、パイを目いっぱいへらしておいてから、何がシェアリング(分かち合い)なのか。綺麗ごとでごまかすな、と言いたい。

January 03, 2009

派遣村

年末から年明けにかけて、日比谷公園で企業に切り捨てられた非正規派遣職員らのために労組や全労連らの企画した「年越し派遣村」(村長は湯浅誠氏)がメディアで大きく取り上げられている。

問題の深刻さに比して300人超というのは決して大きな人数ではないと思うが、それでもこれだけのニュースになるのは、時代のトピックとして象徴的な意味を持っているからだろう。霞ヶ関の官庁ビル街の真ん中という場所的なインパクトもあったのかもしれない。

実行委員会の要請に応じて、厚生労働省は公園に隣接する同省の講堂を宿泊用に開放したという。東京都中央区も旧小学校講堂の「京華スクエア」など施設2箇所を5日から1週間程度開放するらしい。財務省が、現在使われていない官舎の一部を住宅で失った人のために格安で入居させるというニュースもあった。

もちろんこんなものは散発的な取り組みに過ぎないし、圧倒的に不十分ではあるが、麻痺しきった政治を待たずに行政側にこうした動きが出てき始めつつあることには注目したい。

今はメディアも派遣労働者の境遇について同情的に取り上げているが、そのうちリストラの波が正規職員に及んでくるようになると誰もが他人事ではなくなってくる。

そのときにメディアが、上から民衆を分断するようなプロパガンダを流し始めるのか、困窮する人々の連帯を介在するような情報を提供するのか、真価が問われることになる。

December 24, 2008

視点・論点「派遣切り」

好景気時に「経営者は言わば非正規の人たちに食べさせてもらっていた」

大企業の経営者は「自分の子や孫に、人の命を大切にしなさいと言えますか」

解説委員室ブログ:NHKブログ
2007年10月02日 (火)
視点・論点 「シリーズ格差・貧困」
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/4865.html

反貧困ネットワーク事務局長 湯浅 誠

今日は、「格差の中の格差」とも言うべき、「貧困」についてお話したいと思います。
格差が広がって二極化が進むと、その下の極は、絶え間ない「底辺への競争」の中で、
「貧困」へと至ります。
今の日本社会は、その「貧困」が急速に広がっている社会です。

「貧困」とは何か。その公的な基準は、生活保護基準で定められる最低生活費に求めることができます。
憲法25条で保障された「健康で文化的な最低限度の生活」の具体的な内容を定めるのが、厚生労働省が毎年算定している最低生活費ですが、この基準を下回る人たちが、一説によれば1000万世帯を超える、とも言われています。

先日相談に訪れた夫妻は、夫が40歳、妻が28歳でした。夫は、小学生で両親を失い、16歳から非正規労働を転々としながら、一人で生計を立ててきました。
妻は、高校卒業ごろから精神的な疾患を発症していました。
夫妻は、東北の町では仕事が見つからず、派遣会社のあっせんで東京のコンビニ弁当工場に出てきましたが、地元で受けた説明と実際の労働条件がまったく違ったため、職と住まいを失い、ネットカフェで暮らす生活になりました。
また、ある家族は、夫婦で車中生活をしながら、子どもを小学校へと通わせていました。

構造改革と規制緩和が叫ばれる中、こうした貧困層が増え続けています。
背景にあるのは、労働市場における雇用の細切れ化と社会保障の圧縮です。
収入が不安定になると同時に、負担が増え、ごく一握りの勝ち組以外は、多くの人の生活が苦しくなっています。
今日はなんとかなったが、明日はなんともならないかもしれない。
生活の拠って立つ基盤がどんどん危うくなり、薄い氷の上でようやく成り立っているようなぎりぎりの生活を、ますます多くの人が強いられるようになってきました。

家族で相談に来る人たちもいます。親子、兄弟、親戚、さまざまな形がありますが、これまで支えてきた側の人と支えられてきた側の人が一緒に相談に来ます。
そして、支えてきた人たちは、一様に「これまではなんとかしてきたけど、もう限界だ」と言います。
その人たちは「貧困」にまで至っているわけではない。
しかし、自分自身の今後に不安があります。
長寿社会の中で、定年後何年生きるかわからない。
その老後を現在の貯蓄とわずかな年金で乗り切っていかないといけない。
医療費負担などは増える一方です。
とてもこのまま支え続けられない、と感じる。
「貧困」まで至らない人たちも、もはや余裕がなく、これまで家族間のサポートによって表面化することのなかった「貧困」が、社会に出てくるようになってきてしまいました。

「うまくいかないのは本人の責任だ」と「貧困」はしばしば自己責任論で片付けられます。
ある学者さんの調査では、路上生活をしているホームレスの人を「貧困だと思わない」と答えた人が、「貧困だと思う」と答えた人の数を上回っていました。
「好きでやっている」と考えるからです。フリーターも同じです。
正規で働けたはずなのに、夢を追っかけて非正規を選んだんだから、どんなに苦しくても仕方がないだろう、と言われます。
「過労死も自己管理の問題だ」と発言した経営者も、「会社を休めたはずだ」と言っていました。
自己責任論の背後には、「両方選択できたはずなのに、ある一方を選択した。
その結果は自分で引受けるべき」という理屈があります。

しかし、「貧困」の大きな特徴の一つは、選択肢が狭められる、ということです。
今日明日の生活費に事欠く人にとって、月払いの仕事に就くか、日払いの仕事に就くか、という選択肢は事実上ありません。最初の給料が入るまで生活がもたないからです。
ネットカフェで暮らす人たちの学歴は、4割が中卒または高校中退、4割が高卒で、8割が高卒以下でした。この人たちに本当に正規職を選ぶ可能性があったのでしょうか。

他方で、政治や経営側の自己責任はどうなっているでしょうか?
今、日本社会は財政危機にあるとされており、それが構造改革の大きな推進力となっていました。
無駄な大規模公共事業、銀行の不良債権処理に巨額の税金が投入されたこと、これは本当に他に選択の余地がなかったことなのでしょうか?
また、非正規労働者はこの10年間で550万人増やされました。
経営者は「グローバル化の中で、これ以外の選択肢はなかった」と自己の責任を免除していますが、本当にそうでしょうか?
所得税の最高税率を半分にし、法人税を下げて税収を悪化させたのは、私たちではありません。
非正規を増やし、社会保障負担を増やしたのは、私たちではありません。
それでも、生活が成り立たなくなるほどに追い詰められた人たちにばかり、「自己責任」が問われてしまうのでしょうか?
私は、「貧困」にまで追い込まれた人に自己責任は問えない、自己責任は「貧困」の前で立ち止まる、本当の自己責任は、政治や経営者、そして私たちの社会の側にこそ問われるのではないか、と考えています。

では、今社会にどのようなことが求められているのでしょうか? 
まず、早急なワーキング・プア調査が必要です。今年2月の「成長力底上げ戦略構想チーム」でもワーキング・プアの調査が話題に上りましたが、「定義が難しい」という理由で見送られました。
しかし、ワーキング・プアの定義は、憲法25条で定める生存権、その具体化としての最低生活費以下の収入・資産で暮らしている人たちであることについては社会的な合意があり、定義が難しい、調査が難しいというのは言い訳です。
人々の生活がいったいどうなってしまっているのかについては、今多くの人たちが関心を寄せており、公的なワーキング・プア調査には国民的な要請があります。
福田新政権が「弱い人たちへのセーフティネットを充実させる」と言うのであれば、まず真っ先にきちんと実態をつかむ努力をすべきであり、また野党は、一致して追及すべきです。
いつまでも曖昧にしておける問題ではありません。

次に、私たち市民一人一人としては、最低生活費を知ることが重要と考えています。
私は方々に話しに行くことがありますが、「ご自分のご家庭の最低生活費を知っていますか?」と聞いて答えられた人には、ほとんど会ったことがありません。
これは、国が、私たちの生活に関して何を保証しているのかを知らない、極論すれば、憲法25条を知らない、ということです。
国民年金に比べて生活保護が高すぎる、などといった議論がイメージだけで語られてしまうのもそのためです。
私たちには、自分たちが国から何を保証されているのかを知る権利があります。
自分自身が知ろうとするとともに、自治体にきちんと広報するよう働きかけましょう。
ほとんどの自治体の広報誌にもホームページにも、最低生活費の計算方法が示されたことがありません。
これは、考えてみれば、とても奇妙なことなのです。

「貧困」の最大の敵は、無関心です。私たち一人一人が関心を寄せるとともに、社会や政治に働きかけていくことが必要です。貧困層の増大は、長期間にわたって社会の活力を失わせ、誰も幸せにしません。「貧困」が求めているのは、「貧困」まで追い込まれた人たちの自助努力ではなく、私たちの社会と政治の自助努力なのです。
 


November 03, 2008

<日本の人権状況を国連が審査>規約委員、日本政府の人権規約無理解を痛烈批判

例の、「アソウ首相の豪邸を見学する集い」が警官隊によって暴力的な弾圧を受け、公務員が休日にビラを蒔いたら逮捕・起訴の上、実刑判決を受け、自衛隊の公舎の郵便受けにチラシを入れたら逮捕・起訴の上、実刑判決を受ける。

こんな日本がいわゆる先進国の中で極端に異常な人権抑圧国家であることを以下のレポートは如実に示している。

日本の人権状況を国連が審査
「ビラ、戸別訪問自由に」
規約委員 日本政府を痛烈に批判 スイス・国連欧州本部


October 26, 2008

「首相宅見学」ネットで呼びかけ 無届けデモ 3人を逮捕 警視庁

これってデモなの?
公安部はどうやってこういうのがあるのを把握したんだろうか。ネットに貼りついてる部署でもあるのかな。


首相宅見学」ネットで呼びかけ 無届けデモ 3人を逮捕 警視庁
2008.10.26 20:06

インターネットなどで麻生太郎首相の私邸見学を呼びかけていたグループが26日午後、東京都渋谷区で麻生首相宅に向けて無届けのデモ行進を行った。中止の警告を無視したことなどから、警視庁公安部は、デモに参加していた男3人を都公安条例違反や公務執行妨害の現行犯で逮捕した。

 公安部によると、約40人が同日午後3時ごろに渋谷駅ハチ公前広場に集合し、デモ行進を始めた。警視庁が中止するよう警告を繰り返したが、グループは無視してデモ行進を続けたという。

 調べでは、1人は午後3時50分ごろ、渋谷区宇田川町の路上で無届けのデモを行った。この男を都公安条例違反の現行犯で逮捕する際、ほかの2人が逮捕を妨害しようと警察官に暴行を加えた。3人は黙秘しており、身元の確認を進めている。

と思ったら、上の記事ではまったく言及されていないが、このことだったのか

以下転載

もうこうなったら麻生の家に行くしかない!!の巻

 10月26日、午後3時、渋谷駅ハチ公前広場に集まってほしい。みんなで渋谷駅から徒歩15分の麻生の家に行くのだ。

 何のために?

 この日、2回目の「リアリティツアー」が開催される。格差社会の底辺については知り尽くしているけれど、格差の頂点について、私たちはあまりにも知らない。ということで第一回リアリティツアーが行われたのは、いつか忘れたけど数カ月前。フリーター労組の呼びかけで開催された。そうして「ピンハネ御殿見学ツアー」と称して、グッドウィル折口宅や、「過労死は自己管理の問題」と言い放ったザ・アールの奥谷宅に貧乏人がこぞって「見学」に行き、家の前でオニギリを食べたり、折口宅の前では警備員に「やっぱ派遣ですか?」などとインタビューを敢行。目の前の「格差」をしみじみと感じたのだった。

 で、今回は2回目。ツアーのサブタイトルは「62億ってどんなだよ。麻生首相のお宅拝見!」。以下、チラシの告知文だ。

 「第2回のツアー目的地は、このたび『かしこくも』内閣総理大臣に就任された麻生太郎首相のお宅です。45年間にわたり一着30万円のスーツを年間10着仕立てるおしゃれな首相。たった1日で大卒初任給の2倍の弾を撃ちまくって鍛えた射撃はオリンピック級の腕前。敷地だけで6200000000円。大久保利通、牧野伸顕、吉田茂に連なる『華麗なる一族』の東京宅を見に行きましょう」

 更に更に、なんとフリーター全般労働組合は、麻生に団体交渉を申し入れる!! (私はフリーター労組の賛助会員)

 いったい何を考えているのか? そしてそれはどんな要求なのか? 道端を歩きながらフリーター労組のX氏に突撃取材した。要求は3つあるという。

雨宮 麻生への団交の3つの要求とは?

X氏 ひとつは、中山発言あったじゃないですか、日教組、労働組合潰せという。これは労働組合への団結権に対する侵害、介入。その任命責任を問う。

雨宮 2点目は?

X氏 2点目はプレカリアート。自営業も含めたプレカリアート層の生活状況を改善させる。実際就任早々に若者の非正規問題のだしてて。くだらない内容の。それだったらちゃんと生活保障とか完全雇用とか、ベーシックインカムの要求とか、そういうこと。

雨宮 3点目は。

X氏 戦争と貧困に引き摺りこんでいるアメリカへの戦争協力。これをやめろと。

雨宮 素晴らしいですね(笑)。

X氏 マトモでしょ(笑)?

 以上、歩きながらの道端取材でした。

 こういうトンデモないこと思い付くから、私はフリーター労組が大好きだ。あまりにも無謀で「自由」だから(「変態」とも言う)。さて、26日の麻生宅を見に行く「リアリティツアー」は、11月29日、30日と2日間にわたって行われる「反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉08 責任者出てこい! これはヤツらの戦争だ!」のプレ企画として行われる。一昨年から私も実行委員として関わらせてもらっているイベントだ。今年はまだ会議にも行けていないが、とにかく26日は私も講演予定の時間を大幅に変更してもらい、渋谷に駆け付ける(講演、イベント主催の人にはいつも本当に申し訳ないのだが、こういった自分の「活動」とかぶった場合、時間などを変更してもらっているのだ。みんな快く応じてくれるので本当に助かっている)。

 さて、そんな「反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉」の告知文はやはり素晴らしい。以下、一部抜粋。

 「いったい誰が思い付いたのか。戦闘は旧装備をスクラップし新兵器の効果を試すために企画され、戦場はアメリカ政府と委託契約を結んだ民間の軍事専門企業のビジネスシーンとして維持されている。オイルの確保と先進各国の軍需企業が投資家たちに約束した配当を維持するために、不安定な生を強いられる人々を作り出し『対テロ戦争』への参加という出口のみを用意する。アメリカの貧乏人はアフガンやイラクの貧乏人を殺す意思を持てば、自らの状況を劇的に改善できるのである。その道を行くも行かぬも自己責任。『希望は戦争』は現実なのだ」

 「反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉」の公式サイトはこちら。

 10月19日には、明治公園で「反貧困ネットワーク」によって「世直し一揆大集会」が開催され、2000人が参加し、デモに繰り出した。コーラーだった私は「麻生は最低賃金で暮らせ!」などと叫んだ。参加者の中には、前の原稿で書いた「中国に派遣されて時給300円で働かされた」方もいた。月収は5万円。職場は大連のコールセンターで日本からの電話を受ける。家賃1万8000円、食費として月に3万2000円、その他光熱費などがさっ引かれるらしく、月の必要経費だけで5万8000円がかかり、月収5万円ではマイナスになるばかりで貯金を切り崩しながら生活していたという。「語学研修」などが謳われていたが、週に一度、90分、日本語が少しできる程度の中国人が来て「シェイシェイ」「ニーハオ」とか言う程度。本当に、こういう話が身近になっている。

 また、参加者の中には日雇い派遣の仕事に最近ありつけず、ガスも携帯も止まり、食事にも事欠く人々なども参加してくれた。

 本当に本気で、麻生に団交でも申し入れなきゃどうにもならない事態だ。ぜひ、26日は参加してほしい。

June 19, 2008

西成暴動

数日前から、大阪の有名なドヤ街・寄せ場(日雇労働者の就労する場所)である釜ヶ崎(あいりん地区)で、かなりの規模の暴動が起こっているようだ。

その状況は、『ルポ最底辺─不安定就労と野宿』(ちくま新書)の著者生田武志氏のHPで読むことができるが、数百人規模の暴動で、多数の逮捕者も出ている模様。

マスコミの報道は驚くほど小さい。

上記HPによれば、きっかけは、

抗議活動を呼びかけた「釜ヶ崎地域合同労働組合・釜ヶ崎炊き出しの会」のビラによると、鶴見橋商店街のお好み焼き屋に行った労働者(生活保護受給ということなので、元労働者と言うべきか)が、店員の態度に苦情を言ったところ、店員は「営業妨害だ」と言って警察に電話した。労働者はパトカーの署員にいきさつを話したが、そのまま西成警察に連れて行かれた。パトカーに乗せられた労働者は西成警察署の個室に連れて行かれ、イスに座らされ、4人の刑事に変わるがわる顔を殴られ、紐で首を絞められ足蹴にされ、気が遠くなるとスプレーをかがされ、気がつくとまた暴行。挙句の果ては両足持たれて逆さ吊りにされた、という。 なお、西成署は暴行を否定。事実確認は完了していない。

ということらしい。

現場には、そこに他人事ではないものを感じ取ったのかもしれない多くの若者が集まっているという。

フランスや遠い国のデモや暴動は報道しても、自国で起こっている抗議活動を黙殺するマスコミとは何なんだろう。

June 12, 2008

秋葉原自爆テロ事件

「秋葉原通り魔事件」では問題の本質が見えないような気がするので、今回の事件をプレカリアートによる「秋葉原無差別テロ事件」あるいは「秋葉原自爆テロ事件」と呼びたい。

今朝のワイドショーで、お笑い芸人が、「友だちがいないとか、生活が苦しいとか、そんなもの誰にでもあることでしょ。そんなことでキレるほうがおかしい」とコメントし、別のタレントが「だいたいネットに匿名で好き勝手なことを書き込めることに問題がある」と付け加えた。

被害者の無念さを沈痛な表情で訴えながら、すぐに次の話題に移行し、芸能ニュースを餌にゲラゲラ笑い転げていたのもどうかと思うが、上記のような言いっぱなしが横行している今のテレビで、まともな世論が形成されるはずもない。

今回の事件は、やはり自爆テロと解すべきだ。そこには組織も計画もないという意味で、テロリストよりももっと孤独で絶望的な企てといえる。もちろん、彼の行為を一片たりとも正当化することはできない。しかし、彼が追い詰められた背景に明確な社会的構造が存在する以上、「そんなのは誰にでもあること」と一般化するのは間違っている。

June 10, 2008

問題の本質を直視しないマスコミ

秋葉原通り魔事件で、政府の姿勢は「サバイバルナイフ規制強化」「歩行者天国廃止」「街頭での制服警官による警備強化」の方向であり、マスコミの大勢もそれに従っているようだ。

「怪しげなネットの書き込み取締りの強化」もこれに含まれる。

こうしてすべての原因は犯人の個人的な気質にすり替えられていってしまう。

BBCは、こうした異常な犯罪についてその背景を突っ込んで報道することを避ける日本のマスコミの姿勢に疑問を呈している。

それでも、若年層労働者の絶望的な生活実態と自暴自棄な犯罪との因果関係を探ろうとする動きも出てきている。

関連ブログ記事など

天漢日乗

低気温のエクスタシーbyはなゆー

「ガテン系連帯設立宣言」

毎日忙しく道を行き交う貨物トラック。そのトラックをつくるトップメーカー、日野自動車の本社工場ではたらく私たちは、日研総業という業務請負会社から派遣されている派遣社員です。

日野自動車の本社工場には、複数の派遣会社から私たちのような派遣社員が送り込まれているほか、期間工とよばれる短期契約社員もいます。

実は工場ではたらく約3,000人の労働者の半数を、こうした非正社員が占めています。

派遣社員や期間工のしごとは正社員を補助する雑用程度と思っている人も多いかもしれません。しかし、実際はそうではありません。自動車工場はいわゆる3K労働職種のひとつで、一歩間違えば命を落としかねない危険が伴います。私たち非正社員も正社員も、その同じ製造ラインで毎日一緒に油まみれになって汗を流し、しごとのうえでは苦楽を共にしているのです。

しかし正社員と非正社員の待遇には大きな格差があります。

正社員には一時金や昇給があり、30才代になると年収は数百万も違います。退職金や福利厚生制度も完備しています。

一方、私たち非正社員は、昼夜交替勤務で残業を月20時間以上、深夜残業も月50時間やっても、1カ月の平均賃金は24万円程度にしかなりません。時給制なので、夏冬の休みや減産で労働時間が減る1、5、8月はそれをも大きく下回ります。

日研総業の場合、「月31万円以上可」と募集していたのですが、過労死するほどはたらいたとしても、31万円を上回ることはおそらく不可能です。

さらに、2、3カ月ごとに日野自動車の都合で更新をくり返す細切れ雇用ですから、いつまで働けるかをいつも心配しながら先行き不透明な生活を送らざるをえません。ケガや病気になれば契約延長はまずありないし、減産で人が余れば容赦なく切られます。

最近、私たちと同じ立場の「偽装請負」が大手メーカーの製造現場で広がっていることが次々発覚し、大きな社会問題になっています。日野自動車では職業安定法に違反して、私たちを「偽装出向」させていたことが明るみに出ました。こうした事実を私たちが知ったのは、新聞報道によってでした。私たちはだまされていたわけですが、当事者である私たちに対しては、いまだに日野自動車からも日研総業からも一切説明がありません。

人をバカにするのもいい加減にしてもらいたい。一生懸命働いているのに、なぜこんな使い捨ての消耗品のような扱いを受けなくてはならないのか!

同じしごとをしているのだから、賃金も同じだけ支払うべきじゃないのか! 

細切れ雇用で都合良く使いたいというのなら、先行きが見えない分、正社員よりも高い時間給を支払うのが当然じゃないのか!

労働局の幹部が私たちを指して、「おそらくこの人たちは、一生浮かび上がれないまま固定化する」と語ったといいます。(朝日新聞06/7/31)

蹴散らしましょう、こんな言葉は。

会社にとっては使い捨ての道具かもしれない。しかし、私たち一人一人は生きた人間なのです。私たちにだって生活がある。未来に希望を持ちたい。家族によくしてやりたい。

私たちと同じような働き方で、悩み苦しむ人たちがいま日本社会にあふれ返っていることが私たちにも分かってきました。そうならば、同じ問題を抱えている私たちが力を合わせて異議申し立てを行えば必ず状況は開けるはずです。

みんな、手をつなごう。力をあわせよう。

「ガテン系連帯」の設立、ここに宣言!

June 09, 2008

秋葉原事件の根源にあるもの

昨日の衝撃的な秋葉原無差別殺人事件の犯人がどうやら典型的な「プレカリアート」であるらしいことから、これを機に派遣労働者の置かれている絶望的な境遇ならびにその現実を容認し積極的に利用している大企業の体質および政府の方針についての議論が少しでもなされることを期待したいが、大企業がメインのスポンサーであるTVでそれを期待することはやはり酷だろうか。

朝見たワイドショーでも、彼の小学校や中学校時代の卒業文集が公開され、実家の隣人や担任の教師までがコメントを求められている一方で、彼が昨日まで勤務していた自動車工場についての詳細を報じているマスコミはなかったように思う。

もちろん彼の抱えていた絶望がなんであるにせよ、無差別殺人という彼の行為を正当化することは絶対にできない。当たり前のことだが付け加えておく。

June 08, 2008

ブームの主役「プレカリアート」の悲惨な現実

目のつけどころがイイ日刊ゲンダイの記事を貼り付けておく。

蟹工船がバカ売れという現実は、まんざら絶望的でもないような気がする。

(以下転載)

ブームの主役「プレカリアート」の悲惨な現実
6月7日10時1分配信 日刊ゲンダイ

 時ならぬブーム。プロレタリア文学の代表作として知られる小林多喜二の「蟹工船」がバカ売れしている。約80年も前に書かれたこの作品がなぜ今、注目を集めているのか。ブームの主役は「プレカリアート」と呼ばれる若年労働者だ。

「年に5000冊売れればいいほうだったのが、今年に入って都内を中心に売り上げが急増。4月、5月だけで18万7000部を増刷しました」(新潮文庫担当者)
 ブームのきっかけは、今年1月に毎日新聞に掲載された作家の高橋源一郎氏と雨宮処凛氏の対談だ。若者の貧困問題に取り組む雨宮氏が「『蟹工船』は今のフリーターと状況が似ている」と指摘。高橋氏も「ゼミの教え子に読ませたら共感していた」と意見が一致した。
 この対談を読んだ東京・上野の書店員が手書きのポップ(店頭広告)を作ってフリーターにアピールしたら飛ぶように売れ、他の書店にも波及していったという。

●バイトを休んだら生きていけない
 それにしても、活字離れが顕著な若者が本当に読んでいるのか。池袋と新宿のネットカフェ周辺で、フリーターらしき若者に「蟹工船」を読んだか聞いてみた。30人近くに声をかけた結果、「読んだ」と答えたのは2人。
「話題になっているから読んでみた。共感したのは“末端の労働者の1人や2人が死んでも丸ビルの重役には関係がない”ってとこ。丸ビルって今でもあるからスゲーッて思った」(20代男性)
 うーん。それは作品に対する共感とはちょっと違うような……。
 マンガで読んだという30代男性はこう話す。
「僕らが安い賃金で働いた分だけ、グッドウィルの折口とか上の人たちが大もうけする構図は蟹工船の時代と変わらない。40代、50代になってもこんな生活が続くかと思うと絶望的になってくる。正社員になりたい気持ちはある。でもバイトを休んだら生きていけないから採用面接を受ける時間がない」
 日雇いバイトで1日働いて5000~8000円。月収は13万円に届くかどうか。3日も仕事にあぶれると、ネットカフェの宿泊代にも困ってしまう。
 彼らのような日雇い労働者は「プレカリアート」と呼ばれる。「precario(不安定な)」と「プロレタリアート」を合わせた造語だ。内閣府の調査では今やフリーターの数は400万人以上。派遣や請負を含めた非正規雇用者は労働者全体の約3分の1にのぼる。
 もっとも、正社員といえどウカウカしていられない。経団連はこの期に及んで「ホワイトカラーエグゼンプション」を復活させようと画策しているし、「蟹工船」を読んで身につまされるサラリーマンは少なくないはず。プレカリアートの惨状は決して他人事ではないのだ。

《「蟹工船」のあらすじ》
 カムチャツカ沖で蟹をとり、船上で缶詰に加工する蟹工船「博光丸」。そこでは出稼ぎ労働者たちが「糞壷」と呼ばれる劣悪な環境におかれ、安い賃金で酷使されていた。監督は労働者を人間扱いせず、非道のかぎりを尽くす。
 過酷な労働と栄養失調で亡くなる者も。労働者たちは団結し、監督に立ち向かっていく。

●他にもあるプレカリアート本
【山本茂実「あゝ野麦峠」】
“監獄よりもなおつらい”とうたわれた製糸工女の悲惨な生活をつづったルポルタージュ

【鎌田慧「自動車絶望工場」】
 70年代に季節工として自動車工場で働いた体験ルポ

【雨宮処凛「プレカリアート」】
 ネットカフェ難民や若年ホームレスが正社員になる道がなぜ閉ざされたかを分析

(転載おわり)

June 06, 2008

労働ダンピング

中野麻美弁護士の書いた『労働ダンピング』(岩波新書)もまた、プレカリアート問題を考える上での必読書だ。

乱暴に言えば、労働者派遣法が品のいい人身売買の合法化であることがよく分かる。

ここ数日の、グッドウィル幹部の逮捕というニュースに合わせて、東京新聞が「搾取の構図」という短期連載記事を載せていて、この問題をコンパクトにまとめている。

憲法25条の保障する生存権の意義について、真剣に捉えなおすべき時に来ている。

若者(その中には30代後半から40代の労働者も含まれる)の貧困問題について、上の世代は醒めた対応をしがちだ。自分たちはもっと貧乏を味わってきた。なんだかんだいっておまえらはケータイだって持ってるし、それなりに遊んでいる。子供の頃に何不自由ない暮らしをさせてもらっていたから、自立してちょっと生活に苦しくなった位で弱音を吐いているにすぎない。甘えるな。といったところか。

しかし、今の若者たちが感じている疎外感、絶望感、自分は社会からも身近な人々からも必要とされていないという感覚、正社員と同じ仕事をしていても待遇がまったく違うことへの反感、そして自己尊厳を踏みにじられっぱなしの労働環境に絶えず晒されることのストレスといったものは、上の世代が体験してきた苦労よりもシビアかもしれない。

「生きづらさ」を抱えている若者(に限らないが)は、もっと怒っていい。そのためには、まず自分の置かれている状況を認識することだ。バラバラに孤立しているように見えても、問題意識を共有することで見えてくるものがあるはずだ。


June 04, 2008

「すべり台社会」からの脱出

姿が見えない、実態が見えない、そして問題が見えない。そのことが、自己責任論を許し、それゆえにより一層社会から貧困を見えにくくし、それがまた自己責任論を誘発する、という悪循環を生んでいる。

貧困問題解決への第一歩は、貧困の姿・実態・問題を見えるようにし(可視化し)、この悪循環を断ち切ることに他ならない。本書の執筆動機もまた、それ以外にはない。
(下記著書より)


昨日、すべての社会人は、1300円(+税)を払って、『生きさせろ!』(太田出版)を買うべきだ、と書いたが、1300円出す余裕のない人は、777円出して、この本を買って読むべきだ。

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書 新赤版 1124) (新書)
湯浅 誠 (著)


社会がセーフティネットを欠く、脆弱な構造になっているということは、誰もがいついかなる時にも「すべり台」を転落しうることを意味する。よって、貧困問題は誰にとっても他人事ではないし、当事者となる人々の数はこれからも増え続ける一方だろう。

すでに当事者であるひとにとっても、これから当事者になる人にとっても、777円出して読む価値のある本である。

ひとつ注目すべきことは、日本政府は、先進国の中で唯一、国内における貧困問題を直視することを避けているという事実だ。日本には、収入がいくら以下の水準だと貧困とみなすというような公的指標としての貧困ライン(貧困線)が存在しない。その基準として機能しているのが、生活保護法の定める生活保護基準である。

そして、日本政府は、どれだけの人が生活保護基準以下の貧困状態にあるか、公式な調査を拒み続けてきた。

ようやく2007年10月に、詳細な実態調査の資料を出したが、その結果が示しているのは、低所得者の6~8%が、生活保護世帯よりも貧しい暮らしをしているという事実だった。

日本政府が、この調査結果を公表したのは、国内の貧困問題を公認するためではなく、生活保護基準(最低生活費)の切り下げの材料として用いるためであった。

このことは、我が国の政府の貧困問題に対する姿勢をこの上なく示している。

つまり、政府は貧困問題に対処していないばかりか、それを認識することすら拒んでいる。この情況の中で、貧困層およびその予備軍が声を上げない限り、現状が改善される見込みは万に一つもない。

June 03, 2008

ロスジェネ

最新の労働法の基本書を買いに行った新宿紀伊国屋書店で、『ロスジェネ』という雑誌の創刊号が置いてあったのに興味を持ち、購入。

バブル崩壊後に社会人となった「失われた(ロスジェネ)」世代が中心となって盛り上がりつつある<プレカリアート運動>※は、「戦後初めて社会に本当の意味で対抗しようとしている」ムーブメントとして、今後の日本社会を変革していく台風の目のような存在になるのではないかという予感がする。

※プレカリアートとは、フリーター、派遣、二ートも含めた不安定な労働環境に置かれた人を意味する「不安定なプロレタリアート」のイタリア発の名称だという。

昨日購入した『生きさせろ! 難民化する若者たち』の序文は、なかなかの名文だと思う。雨宮氏の文章能力はもっと評価されていい。

「闘いのテーマは、ただたんに『生存』である。生きさせろ、ということである。生きていけるだけの金をよこせ。メシを食わせろ。人を馬鹿にした働かせ方をするな。

俺は人間だ。スローガンはたったこれだけだ。生存権を21世紀になってから求めなくてはいけないなんてあまりにも絶望的だが、だからこそ、この闘いは可能性に満ちている。『生きさせろ!』という言葉ほどに強い言葉を、私はほかに知らないからだ。

今の社会で生きづらさを抱えているすべての人々は、この本をぜひ買って読むべきだ、と思う。

今の社会を上手く泳いでいる「勝ち組」の人々や、若者たちの未来を奴隷のような労働生活で塗りつぶしている「支配階級」の人々も、この本を買って読むべきだ。

要するに、すべての社会人は、1300円(+税)出して、この本を買って読むべきだ。